文学としてのヴァイオレット・エヴァーガーデン

  『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンの心の成長を描く物語です。戦争の道具として生きてきて、人間らしい感情を持たなかったヴァイオレットが、人の心を理解していく過程を描いた作品です。

 そういう意味では、まだ未成熟な青少年が社会との関わりの中で自己の精神を確立していく『ヴィルヘルム・マイスター』型の教養小説と同じジャンルの物語ということになりますが、本作が特徴的なのは『他者から見たヴァイオレット』が描かれる点でしょう。特にTVシリーズにおいては、各話のはじめに同僚のエリカであったり、養成学校のクラスメイトのルクリアであったり、あるいは依頼人だったりの目の視線からヴァイオレットを描き、それらのキャラクターの内面が描かれた上で、ヴァイオレットは『手紙を書く』ことを通じて彼らの内面を理解していきます。

これは他の『ヴィルヘルム・マイスター』型の作品にはあまり見られないことで、例えば『デミアン』においても、主人公エーミール・シンクレールはデミアンやピストーリウス、クナウエル、エヴァ夫人などの登場人物たちと関わり合うなかで自己を確立していくのですが、そういった人物たちの内面はあまり積極的には描かれず、あくまでエーミールの内面を描くことに徹しています。

 今回の劇場版公開に先立ってTVシリーズが再放送された際、本作品を観返しながらそんな特徴に気づいたわけなのですが、なぜそんな作りになっているのかは分かりませんでした。単に、ヴァイオレットの心の成長を描くのに周囲の人物にスポットを当てるのは珍しいタイプの物語だなと思っただけで、その手法が持つ効果には気づいていなかったのです。

 今回の劇場版をみて、やっとその意味に気づきました。TVシリーズと特別編を視聴済みの一般視聴者たちは、彼女がどんな境遇の人に、どのように共感することでその精神を成長させて来たか、それをつぶさに観てきたことで、彼女が作中の出来事に対しどのような思いを抱くか、その心の動きがめちゃくちゃ分かるのです。だって、我々もTVシリーズ全13話と特別編を通して、依頼人たちにヴァイオレットと同じように共感するように訓練されてきたのですから。

 これって、『ヴィルヘルム・マイスター』型文学の歴史上、画期的なことなんじゃないでしょうか。一人の人間の心の成長を描く物語で、あえてその周囲の複数の人間に次々とスポットを当てながら描いていくことで、主人公がどのような感受性を獲得したかを克明に読者にわからせることができる。そんな画期的な手法を、この作品は確立したんじゃないでしょうか。

 私は別に文学に詳しいわけではないので、ひょっとしたらこの手法にも先行例が存在したりするのかもしれませんが、とにかく私の中ではそれぐらい歴史上に残る作品だったのです。今年はコロナ禍のせいでいろいろな映画を諦めていて、観に行けたのはこれと SHIROBAKO くらいなのですが、その2つを観られただけでも十分幸せでした。


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